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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


『江戸名所図会』の挿絵で歩く江戸の町(6)

 当日は晴れて暑い日でした。茅場町駅に集合した後、近くの日枝神社からスタート開始。皆さん暑さに負けず、宝町までの距離を約2時間20分かけて歩きました。 現在の町並みは、『江戸名所図会』に見られる町並みとかなり違っています。山王祭の道筋には、武家屋敷は桟橋を構え、金屏風をたて酒宴に興じ、一般見物客は柵の中に席を設けていたことが『江戸名所図会』に見られます。当時は賑わっていた新川大神宮や伊雑(いそべ)大神宮は、ビルに囲まれひっそりとたたずんでいました。また、物資の運搬に使われていた川も埋められ道路になっています。智泉院には、近くに釜屋の鋳物工場があったことを示す鋳物製天水鉢があり、見学会のコースには、酒などの醸造が行われていたことを示す会社も残っています。伊雑大神宮を最後に、宝町まで歩き解散しました。

【取材】文・写真:広報部会・小出雅右

この見学会の詳しい記事は『えど友』106号(11/1発行)に掲載されます。


狭い入口の奥にある日枝神社 入口に木造の明神鳥居があり、上向きの狛犬がむかえてくれる
日枝神社の社殿右手から裏通りに出ると智泉院がある 向拝両側の鋳鉄製天水鉢に、「坂元町」「天保十二年」の文字が見える
鋳鉄製天水鉢を見る一行 智泉院を後にして次の「鎧の渡し」に向かう一行
鎧橋の所に、茅場町と小網町を結ぶ”鎧の渡し”があった 鎧橋説明板前(明治5年豪商が自費で橋を架け、前後して米・油・銀行・株式取引所などが開設された)
湊橋を渡って新川大神宮へ向かう 永代通り新川一丁目角の説明板(河村瑞賢屋敷跡)(写真選択→拡大)
ビルの谷間に建つ新川大神宮 説明版(新川大神宮再建由来誌)を見る一行
説明板(新川大神宮再建由来誌) 戦後、新川大神宮再建に酒問屋関係者の名が見られる
亀島橋を渡る一行 亀島橋の脇に建つ堀部安兵衛武庸之碑
桜川公園で一休み 八丁堀与力・同心組屋敷跡
説明板(八丁堀与力・同心組屋敷跡)(写真選択→拡大) 弾正橋を渡る一行
ビルの谷間にある伊雑(いそべ)大神宮 伊雑大神宮の境内

バナースペース

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