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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 東叡山寛永寺の次は谷中から日暮里方面、いわゆる谷根千と呼ばれるエリアです。この辺りは何度か訪れたことはあるのですが、どこも単発的に歩いていたので、今回のように線をつないで歩くとなると、谷中の昔ながらの道を迷いながらとなりました。暮れからサクラがほころび始めた頃まで、3回にわたって歩き、ようやく谷中の地理が頭に入ってきました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その54[慈雲山瑞林寺から道灌山]

   挿絵:長谷川雪旦  ▲日暮里惣図其一、其二(部分)

所要時間: 地下鉄千代田線千駄木駅下車(7分)瑞輪寺(8分)宗林寺(10分)天王寺五重塔跡(2分)天王寺(10分)本行寺(1分)延命院(5分)養福寺(3分)浄光寺(1分)諏方神社(8分)富士見坂経由青雲寺(5分)ひぐらし坂経由道灌山(4分)西日暮里駅
地下鉄千代田線千駄木駅から出発。三崎坂を上る。瑞輪寺本堂は垂木や木鼻の彫刻の色合いが印象的。 江戸の水道の父ともいわれる大久保主水の墓がある。
奥の方にはカエル型をした河鍋暁斎の墓。河鍋家の新しい墓誌には平成27年没の名が刻まれていた。 これも瑞輪寺の境内のうちに位置する江戸十大祖師の一つ、安産飯匙(しゃもじ)のお祖師さま。
瑞輪寺から三崎坂に戻り、北上。観音寺の築地塀に突き当たる。 右に行くと谷中霊園方面。左に行くと蛍坂経由で宗林寺。 赤い門の加納院脇の人ひとりがようやく歩ける細い道を行くと、蛍坂の上に出る。
蛍坂を下って岡倉天心記念公園をすぎるとすぐに、挿絵に出てくる蛍沢の宗林寺、別名萩寺。 ここもやはり十大祖師の一つ、舟守祖師。
七面坂を経由してまた南下、谷中霊園方面へ。天王寺五重塔の在りし日の姿を伝える説明板。(写真選択→拡大) 今や礎石が残るのみだが、再建できるだけの資料は残っているそうだ。
天王寺の山門を入って左側に庚申塔がいくつか残っている。年号を見ると改宗させられる前のものと分る。 天王寺から御殿坂へ。月見寺の本行寺。
山門を入ってすぐに見える道灌丘碑。かろうじて数文字読めるかどうか。 隣の経王寺の通りを挟んで向かい側が延命院。大椎が目を引く。
大椎の向かい側にある石碑。 延命院本堂の左側に立つのが七面大明神のお堂。左手前の石に「七面」の文字が見える。
谷中には珍しい養福寺の仁王門。門の向こうに文人碑が見える。 区の指定文化財である談林派歴代句碑を筆頭に、多くの文人の碑がこの一角にある。
諏方神社の別棟、浄光寺。江戸六地蔵の一つがあり、眺望が良いので雪見寺と呼ばれた。 すぐ隣に諏方神社。
花見寺の青雲禅寺。本堂の右前に「船つなぎ松の碑、左側に滝沢馬琴筆塚の碑がある。 これが船つなぎ松の碑。元は境内のてっぺん(現西日暮里公園)にあって、船人の目印になっていた松が図会の挿絵に描かれている。
道灌山通りを横断し、開成高校脇の坂をどんどん上る。この一帯が道灌山遺跡。 ひぐらし坂のてっぺんに出る。これだと日光も筑波山もよく見えたであろう。見晴らし抜群。 ここから先は、下りとなり、住居表示が北区田端で、田端台公園となる。

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