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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


再訪 江戸四宿を歩く―内藤新宿―

 「四宿」最後の「内藤新宿」見学会が4月22日に行われました。「新宿御苑駅」徒歩5分の四谷区民センターに172名が集合し、宿場東端の四谷大木戸跡から見学となりました。 甲州街道の最初の宿場であった高井戸難渋を解消するために、元禄11年(1698)内藤新宿が開設されましたが、20年足らずで一時廃止され、更に54年ぶりに再開された宿場です。 宿場町は、大木戸(現四谷四丁目交差点)から下町・仲町・上町と続き、新宿追分(伊勢丹前)で青梅街道と甲州街道に分かれます。解散は甲州街道沿いの天龍寺となりました。

【記録】文・写真:広報部会・国定美津子


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「四谷大木戸跡の碑」四谷4丁目交差点は東京都指定旧跡! 「水道碑記(いしぶみのき)」玉川上水の開削記念の碑。東京都指定文化財
「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」平成23年3月に整備終了しました 「多武峯内藤神社」内藤氏が大和多武峯談山神社を勧進した屋敷神
「多武峯神社・駿馬堂」江戸時代作の「白馬の像」が愛らしい。隣に駿馬塚 「長善寺・四谷角力始祖の碑」初代横綱明石志賀之助の勧進相撲の始めとか
「三遊亭円朝(1839-1900)の旧居跡」新宿区指定史跡、花園公園内にあります 「太宗寺の銅造地蔵菩薩坐像」甲州街道入口の江戸六地蔵です
「太宗寺の閻魔堂」新宿区指定文化財の「閻魔像と奪衣婆像」があります 「太宗寺・切支丹燈篭」新宿区登録文化財、内藤家の墓地に竿部のみが出土
「太宗寺・内藤家の墓地」新宿区指定史跡、中央が五代内藤正勝の墓です。 「正受院の針塚と小見外次郎翁胸像」東京和裁組合が建立した針の供養碑
「正受院の平和の鐘」宝永8年(1711)に鋳造の梵鐘です。大戦中に供出されたが、戦後アメリカで見つかり返還されました 「成覚寺の旭地蔵」新宿区指定文化財、玉川上水への入水自殺者の供養のために建立。元は旭町の玉川上水北側にありました
「花園神社本殿」花園神社・大鳥神社・雷電神社3柱を祀る新宿総鎮守 「花園神社鳥居」本殿東正面の大鳥居
「芸能浅間神社」元は新宿富士・三光町富士と呼ばれていた富士塚(花園神社北) 「追分元標」甲州街道と青梅街道の分岐点(新宿三丁目交差点)の指標
「雷電神社」源義家(或いは弟義光)の伝承がある、花園神社末社 「天龍寺の門」元は遠江国の法泉寺で、家康側室於愛の方の菩提寺でした


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