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東京水辺ラインの両国発着場から「両国−お台場クルーズ」の船に乗り、川下に進むと目の前に両国橋。明暦の大火(1657年)では対岸に渡れず逃げ場を失った大勢の人が焼死しました。この惨事が防衛上、橋を禁じた江戸幕府を動かし、万治2年(1659)、大橋(後に両国橋と改称、現在地より20m下流)が架けられます。現在の橋は昭和7年(1932)の建造。
次はその34年後、元禄6年(1693)に架けられた新大橋(現在地より100m下流)。埋め立ての進んだ深川と日本橋を結びます。江戸の人は大変喜び、芭蕉も「ありがたやいただいて踏むはしのしも」と句を残しています。明治45年(1912)鉄橋となり、関東大震災ではこの橋だけが通行可能で大勢の人が助かり、お助け橋と呼ばれました。現在の橋は昭和52年(1977)の建造。
3番目が清洲橋。昭和3年(1928)の架橋で、当時、世界でいちばん美しいといわれたケルン市(ドイツ)の大吊り橋がモデルです。曲線的で女性的な美が、重量感のある男性的な現在の永代橋とよく対比されます。
4番目は隅田川大橋。昭和54(1979)年の架橋で高速道路が上を走ります。
5番目は元禄11年(1698)に架橋の永代橋。赤穂浪士が討ち入り後、この橋を渡って泉岳寺へ向かったことで有名です。また文化4年(1807)の深川祭の日、橋が折れて落ち、400人を超える死者が出たといいます。現在の橋は大正15年(1926)の建造。
6番目は中央大橋。白い塔のある繊細な感じの吊り橋で、隅田川では最も新しく平成5年の架橋です。中央区新川と橋で結ばれた石川島の「大川端リバーシティ」は、寛政の頃(1789−1801)、火盗改め長谷川平蔵が人足寄場を作ったところです。
7番目が佃大橋。昭和39年(1964)の架橋。東京オリンピック開催を目前の建造でした。江戸時代から300年にわたり親しまれてきた佃の渡しは、隅田川最後の渡しとして愛惜され、東京人の記憶に残ります。
最後が築地と月島を結ぶ勝鬨橋。昭和15年(1940)、日本初の国際博覧会(第2次大戦で中止)の輸送対策で架橋。時節柄、戦勝を祈念して「勝鬨」の名がつけられました。大型船が航行できる「はね橋」も道路の交通量が増えて、昭和45年(1970)開かずの橋に。
この先、船は東京湾へ出てレインボーブリッジを過ぎ、お台場へ。いつか「ナイトクルーズ」で、夜空に浮くライトアップされた橋を見たいと思いました。クルーズは越中島、聖路加ガーデン前、浜離宮でも下船可能です。お台場まで約1時間、料金は1000円。
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