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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 飛鳥山は王子の駅から行ったことしかありませんでした。前回57回の平塚神社の帰りに上中里駅に出たとき、駅前に「飛鳥の小径」という表示板を見つけ、線路沿いに飛鳥山へ行けることに気づきました。国立印刷局東京工場の裏になります。その道の途中から、番外ですが、ちょっと気になっていた七社神社と西ヶ原一里塚を経由して、飛鳥山の南端、旧渋沢庭園から入ることにしました。この庭園にも初めて入ってみました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その58[飛鳥山から瀧不動尊]

   挿絵:長谷川雪旦  ▲王子稲荷社

所要時間: JR上中里駅(8分)七社神社(1分)西ヶ原一里塚(5分)飛鳥山(3分)王子神社(5分)王子稲荷神社(1分)金輪寺(7分)装束稲荷神社(6分)音無川親水公園(10分)松橋辨財天社(1分)龍河山金剛寺(10分)瀧不動尊(正受寺)(7分)王子駅
上中里駅下車。線路沿いに「飛鳥の小径」が飛鳥山まで続いている。 飛鳥山のシンボル、難解な碑として有名な飛鳥山碑。
文章も難解なら、この石材の表面の凸凹をもとのともせず、みごとに刻んだ名工の仕事。(写真選択→拡大) 王子神社正面。戦災で焼き尽くされたとは思えないほど緑に覆われている。
社務所の裏側、音無川西崖線の肩にある、戦災で唯一焼け残った天然記念物のイチョウの木。てっぺんは欠けているようだ。 元亨2年(1322)創建とされる王子神社は、来年は創建700年を迎えることになる。(写真選択→拡大)
境内北側にある関神社。蝉丸伝説に由来するとかで、床山や理容業者の信仰が厚いとか。 王子稲荷神社へ向かう。ウィークデーの幼稚園開園中は、稲荷坂より参詣。
王子稲荷神社。文政5年(1822)建立の社殿が戦災を免れた。 社殿右側奥の赤鳥居の先には何が?
一番上まで行くと、岩を穿たれた中に小さな狐さんたちが。 王子稲荷を正面から出てまもなく左側にある、現金輪寺。明治36年、旧金輪寺十二坊の一つ、藤本坊が、金輪寺の寺号を継承。
ちょっと足を伸ばして、装束榎の立っていた辺りに造られたという装束稲荷神社にも寄ってみた。 王子駅に戻って、音無親水公園へ。 右手の崖の上は王子神社。この石柱から上っていくと、天然記念物の大イチョウに 出会う。奥のアーチの橋は音無橋。
石神井川沿いに更に歩く。紅葉橋を渡って、向こう側に見える金剛寺奥の松橋弁財天跡へ。 金剛寺裏の音無もみじ緑地の崖にかつて、巌谷があった。以前来たときよりも少し荒れた感じ。
紅葉寺とも呼ばれる金剛寺。 境内は広くはないが、手入れの行き届いたいい感じのお寺。12月はじめに再訪。モミジは散って、カエデがまだ青い葉を残していた。
門前の石碑群の上の紅葉は少し盛りを過ぎているが、青空に映える。奥は前の写真のカエデ。 山門を入ると左右にある素朴でかわいい仁王さん。緑濃い頃に撮影。
境内のモミジの散り葉が七福神にもふりそそいだみたい。 金剛寺から石神井川右岸を王子駅方面へ戻る。石神井川の旧川を利用して造った音無さくら緑地を歩いてみた。
さくら緑地から川沿いの道に戻って少し下ってから、「赤ちゃん寺 正受院」の看板で右折して瀧不動尊へ。 正受院本堂。
本堂の前に、石造の近藤守重(通称重蔵)坐像。文政5年から9年まで、正受院の東隣に滝野川文庫という書斎を設けて住んでいたという。 雰囲気の良い不動堂。
不動堂左後方に瀧跡を示す石碑。

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