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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 田端の与楽寺の最寄り駅はJR田端駅となりますが、54回の最終地である道灌山の西端の辺りに位置します。眺望のよかった道灌山遺跡のひぐらし坂をまた歩きたくなり、西日暮里駅から少し遠回りすることにしました。上田端八幡神社は図会の項目にはありませんが、この境内に移築された白鬚神社が次の57回に出てくるので、寄り道しました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その56[寶珠山與楽寺から光明山圓勝寺]

   挿絵:長谷川雪旦  ▲田畑八幡宮

所要時間: 西日暮里駅下車(11分)与楽寺(7分)田端八幡神社(1分)東覚寺(7分)上田端八幡神社・白鬚神社(5分)円勝寺(5分)JR駒込駅
数年前に門前の改築があったらしく、以前訪れたときとは様変わりしていた与楽寺。 山門を入って正面には与楽寺本堂。
本堂の左手に阿弥陀堂。ここは六阿弥陀の第四番めとなる。 秘仏の阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂の前の左右に石燈籠がある。
左側燈籠の下を見ると、お猿さんが。竿石の正面、左右に三猿が1匹づつ彫られている。燈籠型の庚申塔ははじめて見た。 与楽寺坂から童橋を経て、田端八幡神社へ。一の鳥居の手前にあるのは谷田川にかかっていた石の橋の一部。右側にはズラリと神輿庫が並んでいる。
2つ目の鳥居の先は二手に分かれる。右は富士塚に築かれた富士浅間社と三峰社。 左手上が八幡神社。 こちらが三峯社。
まだ木の香も新しいような八幡神社。平成5年再建。 田端八幡神社の隣は東覚寺。赤紙を仁王に貼り付けるのは明治以降の風習。
赤紙を貼り付ける風習の前の仁王さまはこんな感じ。写真が焼けていてよく分からないが、別の仁王さまのようだ。 仁王さまは閉ざされた田端八幡宮の門前に立っていた。 慶応2年頃の石造り金剛力士像の様子(出典『御府内八十八ヶ所道しるべ』)とある。
こちらは上田端八幡神社。この神社そのものは名所図会には登場しない。奥の鳥居の左脇を上っていくと本殿の左側に移築された白鬚神社がある。 白鬚神社。おそらく下の石は載せるために作ったものだろう。手書きの神社名がなんともいえない。
8月5日は白鬚神社の大祭とある。移築されたこの地にすっかり根付いているようだ。 上田端八幡神社を右に出て真っすぐ行くと JR線路に突き当たる。円勝寺は踏切を渡ってすぐ右側で線路沿いになる。参道入口にある庚申塔。
庚申塔の後ろにある石柱。厄除大勢至菩薩霊場と読める。図会の挿絵にある勢至堂のことであろう。 山門向こうに巨大なヒマラヤ杉が2本。 この寺に伝わる家康ゆかりの松の代わりか?
墓地の一番高いところはお寺の屋根くらいまである。勢至堂は昔、この墓地のある場所に立っていた。 境内は狭いが小さな池があって、ちょっとした庭園の風情。
駒込駅に向かう山手線。円勝寺山門を出てそのまま線路沿いを行くと駒込駅。第二中里踏切は唯一山手線を見られる踏切。

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