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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 広大な上野公園も、東叡山寛永寺の最盛期に比べるとほぼ半分の面積になっています。博物館、美術館、動物園と訪れる機会も多い場所ですが、意識して上野を隅々まで歩いたのは初めてで、江戸から現代まで続く奥の深さが感じられました。現在東博の立っている場所には御本坊円頓院がありました。上野公園入り口の壁泉辺りにあった黒門から桜並木へと続く道は、本坊への参道でした。参道には上野戦争で壊滅した根本中堂、荷担堂(にないどう)などの伽藍が立ち並んでいましたがその面影もありません。名所図会の挿絵は失われた伽藍を詳細に記録している貴重なものといえるでしょう。挿絵をイメージしながら歩いてみました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その52[東叡山寛永寺](前)

   挿絵:長谷川雪旦  ▲東叡山寛永寺 其四

所要時間: 大江戸線上野御徒町下車(5分)黒門跡(壁泉)(3分)小松宮銅像(3分)竹の台(噴水広場)(3分)開山堂(両大師)
上野公園入り口。黒門を模したデザインの壁泉の脇には解説板がある。この左側の桜並木を進む。 桜並木から先は円頓隠御本坊への参道だった。現在、小松宮銅像の辺りにはかつて、寛永寺の鐘楼があった。鐘の前には渡り廊下でつながった常行堂と法華堂があって、その下を参詣者はくぐって中堂へ向かった。
噴水の辺りを竹の台という。この辺りに根本中堂が建てられた。 東博の前を右折、少し行くと開山堂。
慈眼大師と慈恵大師を祀る、今や両大師のほうが通称のようだ。 両大師遷座の際の目印となった金札。
山門を入ってすぐ右側には阿弥陀堂。 慈恵大師は厄除けのお大師様。コロナもこれで退散!!(写真選択→拡大)
参道を真っすぐ行って本堂の左側に行くと・・・ 石壁で区切られた輪王寺宮墓地。現在は宮内庁の管理で、中には入れない。
境内には立派な青銅燈籠が4基。大猷院霊廟に奉献された燈籠のようだ。 東照宮の拝殿前に奉納されている御三家の燈籠とよく似ている。
両大師と同じ境内に移建された旧本坊表門。重要文化財。5年ほど前に修復されたそうで、堂々とした姿で立っている。輪王寺は開山堂の正式名称 道路側から見た説明板。旧本坊表門は上野戦争の戦火を免れ、明治になって帝国博物館(現東京国立博物館)の正門として使われた。(写真選択→拡大)
これは境内内側から見た旧本坊表門。古い写真を見るとボロボロになっていたが、見事に修復されている。 上野戦争の弾痕もところどころに見られる。
今回はここまで。両大師を出て右、東博との間の道を進むと、現寛永寺方向となる。

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