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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 今回は第一京浜と、東海道本線の西側との間の丘陵地帯を歩きました。昔で言えば、荏原郡大井村から不入斗(いりやまず)村です。今はすっかり住宅地ですが、道が入り組んでいて右往左往しました。お寺の多くはどこも桜の名所になっていたようです。訪れた寺社の境内ではタブノキやアカガシなどの樹木が目につきました。番外で大井公園の南端にある山内容堂の墓所と、大森貝塚史跡公園にも立ち寄りました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その15 [鮫頭明神祠から鈴森八幡宮]

▲来福寺  世の中は 三日見ぬ間に さくら哉   雪中庵 蓼太

挿絵:長谷川雪旦


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所要時間:海晏寺の石標を確認するため、京急青物横丁駅から歩き始めました。約2時間、距離にして8キロくらいでしょうか。
京浜急行青物横丁駅―4分―海晏寺石標―6分―鮫洲八幡神社―6分―(番外)山内容堂墓所―25分―来福寺―19分―納経塚(庚申堂)―13分―西光寺―7分―光福寺―8分―来迎院/鹿島神社―4分―(番外)大森貝塚史跡公園―10分―天祖神社―21分―鈴森八幡宮(磐井神社)―4分―京浜急行大森海岸駅
鮫洲八幡神社の狛犬は嘉永2年(1849)造立。 境内南側の弁天池。
(番外)山内容堂の墓所。鮫洲八幡から第一京浜を横断し、向かいの小高い丘の上にある。 来福寺「御府内八十八カ所第廿六番 弘法大師」の石柱が立つ。
山門を入った右手には歓喜天。山王鳥居の横木の凸型がめずらしい。 境内は庭園風できれいに整備されている。梶原の松もかくや?
▲ 西光寺
来福寺から庚申堂(経読み地蔵)を経て、西光寺へ。(写真選択→拡大) 前にある3体が、倉田地蔵堂から移された供養塔。
名所図会では幼木がこのように、大きくなった? これは来年3月に来ずばなるまい。
西光寺の兒桜
東京湾に出漁する猟師たちが目印にしたともいわれる、光福寺の大銀杏。 大井の地名の元になったともいわれる、了解上人産湯の井戸。
鹿島神社。夏越祓の茅輪が見える。 この小さな覆屋のなかに、鹿島神社の旧本殿がある。
のぞき見ると、小振りだけれど華麗な彫刻がほどこされた建物が。文久2年(1862)建造の旧本殿。 鹿島神社から大森貝塚史跡公園を経て大森駅西口へ。駅の向かいの丘には天祖神社があって「鎧懸松」がおかれていた。
天祖神社拝殿全景 また京浜急行方面に戻って、鈴森八幡宮へ。
社務所の中におさまっている鈴石。声をかけないと見せてもらえない。しかも、建物内には入れず、玄関から見るだけ。 同じく、烏石(うせき)。これは窓を開けてもらって外から見たもの。

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