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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 街中にクリスマスの飾りと門松が立ちはじめた頃、高輪から品川方面を歩きました。街路樹はすっかり葉を落とし、品川駅向かい側のビル植え込みのナンキンハゼは白い実が鈴なりになって青空に映えていました。
 今回で『江戸名所図会』巻之一、天枢之部が終わります。江戸城和田倉門から歩き始めてちょうど12回目、丸2年かかりました。今回は移転したお寺を訪ねて、初めて途中電車にも乗りました。泉岳寺では四十七士の墓にお参りの人達が大勢いました。まさか300年以上も後の人々が自分たちのお墓にお参りに来てくれるなんて、彼らは夢にも思わなかったでしょうね。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その12 [萬松山泉岳寺から谷山]

挿絵:長谷川雪旦     ▲如来寺


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所要時間:実際に歩く距離は1時間20分くらいの行程ですが、見学時間と電車の待ち時間などを含むと3時間ほどはかかります。
都営地下鉄浅草線泉岳寺駅―3分―泉岳寺―10分―高輪神社(太子堂、庚申堂)―10分―東禅寺―18分―高山稲荷神社(石神社)―6分―谷山―4分―品川駅(横須賀線乗車5分)―西大井駅下車―15分―如来寺―10分―都営地下鉄浅草線馬込駅
12月のせいか、泉岳寺の四十七士墓地は線香の香りがただよっていた。内匠頭のみならず、全員のお墓に新しい花も供えられていた。 高輪神社に太子堂、庚申堂、稲荷祠などのよすがを探る。稲荷は高輪の産土神とあるから、なにか関係はありそう。
太子宮というのをみつけたが、中には神輿が保管されていた。ご神体とおぼしき鏡もあった。太子16歳の像はみえなかった。 庚申堂ではないが、庚申塔が太子宮の奥にあった。普段、扉は閉まっているので、わざわざ開けてもらわなくてはならない。
図会では木像の青面金剛がお堂の中に祭ってあったように書かれているがここには石像があった。青面金剛金剛の下にある三猿は崩れかかっているがかろうじてそれとわかる。 坂道を登ったり下ったりして東禅寺に到着。
昔は総門にあったという海上禅林の額。今は本堂にかかっている。 裏に回ってみたら、観光客お断りの墓地が見える。塀の上から見えるこの大名墓は日向飫肥の墓地であろうか。
品川駅向かい側にある高山稲荷神社。小振りだが趣のある立派な神社だ。 ここに石神社を合祀した事が書かれている。「しゃくじんよこちょう」が「おしゃもじ」になったというのは図会に同じ。ともかく、石神社所縁のものは見つけられた。
西大井に引っ越した如来寺の五智如来はこの瑞應殿に安置されている。 木造五智如来坐像(五軀)の説明版(写真拡大)
 
わざわざ来て良かった。なかなかのものである。右端が造立当時のままの薬師如来。  

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