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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 今回は芝公園エリアから少し南に下り、落語で有名な芝浜から三田方面を歩きます。基点はめずらしくJRを使い、田町駅三田口からスタートしました。都内に住んでいてもこのあたりは一度も訪れた事のない場所で、はじめて慶應大学の三田キャンパスにも足を踏み入れました。
 「月波樓」とは島原藩中屋敷の丘の上に立つ3階の建物で、江戸時代にはめずらしいため名物とされて名所図会でも取り上げられたようです。慶應義塾がここに移った頃には風光明媚な点は昔と変わりませんでしたが、建物は古びていました。この建物が解体されるまでは、図書の一部を置いていたそうです。創立50周年を記念して建てられた赤煉瓦の図書館の最も高い八角塔の最上層には、犬養毅の筆になる「月波樓」の横額が第二次大戦の時まで掲げられていました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その10 [芝浦から月波樓]

挿絵:長谷川雪旦     御穂神社・鹿嶋神社               金杉毘沙門堂


より大きな地図で 「江戸名所図会を歩く」 10 【芝浦から月波樓】 を表示
所要時間:見学時間を除くと歩く時間は約1時間15分。慶應大学キャンパス内の散策は30分から1時間くらいかかります。
JR田町駅―3分―西郷・勝会見の地碑―1分―御穂鹿嶋神社/本芝公園―15分―御穂神社旧地―8分―正伝寺・毘沙門堂―8分―西應寺―20分―綱の手引き坂―10分―小山神明宮(元神明)―8分―綱坂―4分―月波樓(慶應大学)―5分―春日明神社
西郷、勝の会見碑を右折し、奥に入っていくと、めずらし、2匹合体の狛犬が・・・ その狛犬の先は御穂鹿嶋神社。ここは元々は鹿島神社で平成18年に御穂神社と合併したとある。
鹿島神社は芝浜に面して建っていた。いまは本芝公園となっているここが落語「芝浜」の舞台。立っているのは「雑魚場跡」の碑。 正伝寺、毘沙門堂。すぐ脇を電車が走る。江戸三大毘沙門のひとつだそう。
こんどは芝2丁目の西應寺へ。真新しい門が迎えてくれる。左手にお寺の由来を書いた説明板や、幕末オランダ公使宿館の碑が立っている。 境内の中でひときわ目立つメタセコイアの脇に、寺の由来を書いた文化12年(1815)建立の石碑が立っている。これ以外は往時を偲ばせる物はほとんどない。
三田1丁目交差点から西、オーストラリア大使館方向へ行く坂。建てたばかりの標識だね。 綱の手引き坂からオーストラリア大使館手前で神明坂を下ると小山神明宮。お祭りの準備がされていた。
(番外)オーストラリア大使館手前に建つ瀟洒な洋館、綱町三井倶楽部。このあたりは綱町という町名であったことがわかる。大正2年、ジョサイア・コンドルの設計で三井家の迎賓館として建てられた。 ここは綱坂。右の塀は三井倶楽部。左側はイタリア大使館の敷地。
(番外)綱坂を下り、イタリア大使館を過ぎるとと左手に慶應大学西門がある。構内に入るとひときわ目に付く、慶應義塾旧図書館。国の重要文化財に指定されている。 旧図書館の右側から裏に回って、小山のようになったところに登ると、春日明神社が見下ろせる。
東門から桜田通りに出てすぐ左にある春日神社。旧図書館の脇から見えた赤い社殿がこれ。 (番外)三田キャンパス内にあるもう一つの重要文化財、三田演説館。正門から入って左手の稲荷山の上にある。なまこ壁が印象的な建物。

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