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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

桜がいやに早く咲いて、季節がドンドン進むような気分だった今年の春。4月も半ばを過ぎた頃から都心の緑が芽吹いてきました。花をながめるのはもちろんですが、この新緑の季節はこれから成長していく感じが何か好きです。明るい日差しの4月末、増上寺の近くの芝神明さんから歩き始めました。芝公園辺りはすっかり新緑で、まぶしいくらいに輝く緑にさわやかな風が気持ちのよい日でした。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その8 [飯倉神明宮から愛宕山権現社]

挿絵:長谷川雪旦 飯倉神明宮祭礼


より大きな地図で 江戸名所図会を歩く」 8 【飯倉神明宮から愛宕山権現社】 を表示
所要時間:見学時間を除くと歩く時間は約50分。往復とも都営地下鉄大江戸線「大門」駅を利用。
飯倉神明宮(芝大神宮)―10分―宇田川橋(浜松町1丁目交差点)―10分―日比谷神社―12分―烏森神社―15分―真福寺―4分―愛宕山権現社(愛宕神社)
芝大神宮。借景は東京タワー。図会では大賑わいの祭りの様子が描かれているが、今もかわらずにぎわっているのだろうか。 東新橋2丁目1の日比谷神社は、元は芝口三丁目西の裏通り(日陰町)にあった日比谷稲荷。その場所は今は高架下であとかたもなし。
なぜ「鯖」が??HPによると「旅泊(さば)稲荷明神」とも呼ばれていたのがいつしか魚の「鯖」になったとか。なぜ、旅と泊で「さば」と読むんでしょうね〜。 昭和7年建立と刻まれた石碑。日陰町という町名はまだ残っていたのだね。
はじめて訪れた烏森神社。細い参道の脇は一杯飲み屋がずらりで、さすが、新橋といったところか。 本殿はそれらしき工夫をしたコンクリート製。
烏森神社の前の通りは稲荷小路と呼ばれていた。この通りと、愛宕下通りとの交差点でひときわ異彩を放つこの日本家屋が、大坂屋砂場である。 ビルのような真福寺の本尊、瑠璃光薬師。本堂の扉は押しても引いても開かず、人気もない。ガラス越しに撮影する。
真福寺の脇の道が愛宕神社の参道とあったので登ってみる。車道はそのままNHK放送会館へ通じるが、脇から山に登ると女坂の上に出た。 愛宕神社のHPによると、この太郎坊社が一番古い社とか。
まぶしい新緑。境内にはさわさわと気持ちの良い風が吹き渡っていた。 丹塗りの門。夏越しの払いの時はここに茅の輪をかけるとか。
帰りは男坂。かなりの急勾配で、ここを馬が駆け上るのは出来たとして、下りはさぞや怖かったろうね。

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