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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

平成24年も暮れようとしている12月半ば、買い物客で大賑わいの築地から銀座、有楽町方面を歩きました。都心ど真ん中なので、江戸の風情など残っているのかという雰囲気ですが、その気になって歩くといろいろ見つかるものです。今回も思いがけない発見があって、普段いかにボーッとして歩いているのかを痛感し、またそれが愉快でした。
今回の挿絵をよく見ると右上には西本願寺がみえます。采女が原の馬場では馬に振り落とされてひっくり返っている人もいます。手前には様々な小屋があって賑わっているのがよくわかります。馬場とこの盛り場的な賑わいの組み合わせが何とも不思議な感じがしました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その6 [西本願寺から新橋]

挿絵:長谷川雪旦 采女が原


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所要時間:(見学時間を除く)およそ1時間*築地本願寺は境内から内陣までじっくり見学すると30−40分はかかります。
西本願寺(築地本願寺)―10分―采女が原(万年橋)―7分―采女橋公園・采女橋―10分―歌舞伎芝居(銀座6丁目辺り)―7分―織田有楽齋弟宅地(有楽町マリオン辺り)―16分―新橋―2分―芝口御門跡・三十間堀跡
西本願寺(築地本願寺) 外観はインド風、本堂内部は伝統的な真宗寺院。青い扉の玄関を入った左右の階段脇にはさまざまな動物レリーフが置かれている。 酒井抱一墓 境内左端にはいくつかの史跡が並んでいる。これは酒井抱一のお墓。抱一は武家の出だが、出家して僧になったのでお墓も卵形。
森孫右衛門供養塔の説明板(写真選択→拡大) 森孫右衛門供養塔 この左右側面の銘文に徳川家と佃島の漁師との関わりや、佃島の成り立ちなどが記されている。
西本願寺(築地本願寺)内陣 外観はインド風でも内陣は伝統的な真宗寺院。1年半ほどかかったという修復を終えたばかりでまばゆいばかりになっていた。 采女橋説明板 新橋演舞場脇の采女公園内にある。(写真選択→拡大)
采女橋 築地ホテル館と柳をモチーフにしたという高欄の意匠はなかなかしゃれている。 ごく一部が見えている新歌舞伎座。2月にはいって、この覆いは取り外され、すっかり外観が現れている。
有楽町町名由来板 有楽町マリオン前に立つ町名由来の説明板。12月にはこれが宝くじを求める人波で埋まっていた。(写真選択→拡大) 新橋親柱 高速道路をくぐってみつけた大正14年(1925)架橋の新橋親柱。これは関東大震災で崩れた橋を再建したときのものと思われる。
芝口御門跡碑 銀座側の御門通りを汐留方面にいき、「銀座天國」裏の角にみつけた。朝鮮通信使を迎えるためにこんなりっぱな御門を建てた幕府の真意は??(写真選択→拡大) 三十間堀跡説明板 芝口御門跡の斜め前にある三十間堀と汐留側の合流点にあたる場所。説明板と、堀から発掘された石が置かれている。ここは思わぬ発見だった。(写真選択→拡大)

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