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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

早くも猛暑となった7月の末、一旦暑さの収まった涼しい日をねらって前回の吉原町旧地からの続きを歩きました。吉原町旧地の末広神社から少し北東寄り、清洲橋通りと金座通りの交差点に今回最初の目的地があります。最寄り駅は都営地下鉄新宿線の浜町駅になります。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その4 [賀茂真淵翁閑居地から三ツ橋]

挿絵:長谷川雪旦 永田馬場山王御旅所 茅場町薬師堂


より大きな地図で 「江戸名所図会を歩く」 4 【賀茂真淵翁閑居地から三ツ橋】 を表示
所要時間:見学時間を除いて約1時間30分
都営地下鉄新宿線・浜町駅A2出口(5分)賀茂真淵翁閑居地説明板(10分)新大橋(7分)旧新大橋跡石碑(3分)芭蕉稲荷・萬年橋(3分)旧新大橋跡石碑(30分)江戸橋(4分)兜神社・兜岩(3分)鎧の渡し跡説明板(3分)永田馬場山王旅所・薬師堂・其角住居跡石碑(15分)伊雑(いそべ)太神宮(4分)三ツ橋(弾正橋)
浜町駅A2出口からイチョウ並木を抜けて清洲橋通りに出たら右折。次の交差点の「ジョナサン」の壁にひっそりと賀茂真淵翁閑居地の説明板がある。(写真選択→拡大) 新大橋中央のオレンジ色が印象的な主塔には広重の「大はしあたけの夕立」と明治に架けられた鉄橋のレリーフが飾られている。(写真選択→拡大)
新大橋を渡って、深川萬年橋たもとの芭蕉稲荷神社(芭蕉庵史蹟)に寄り道。芭蕉は新大橋の架かるのを楽しみにしていた。萬年橋から見える清洲橋のあたりには中洲があって三泒(みつまた)と呼ばれ、月見の名所として有名だった。
江戸橋から日本橋川沿いに鎧の渡し跡に行く途中、兜神社に立ち寄る。この一帯は丹後田辺藩牧野家の上屋敷があった所なので、この境内にある兜岩が図会で「牧野家庭中にあり」とされる兜岩と思われる。
鎧橋のすぐ脇に鎧の渡し跡の説明板が立っている。その前には東京証券取引所。(写真選択→拡大)
永田馬場山王旅所であった現日枝神社。今は静かなこの境内も、御旅所であった頃のにぎわいはいかばかりであったか・・・由来を記した説明板もないのは残念。狛犬好きとしてはここの狛犬が天を仰いでいるのがおもしろかった。
神社本殿の脇を抜けて裏口からでると智泉院が見える。看板には「かやば町のお薬師さま」。図会で「同じく御旅所の地にあり」とされた別当寺の薬師堂のようだ。
智泉院には名所図会の絵も載った詳細な説明板があった。この天水鉢も天保のもので中央区の文化財。雨水がいっぱいになっていて、さぞや蚊が多いだろうなと余計な心配。(写真選択→拡大)
八丁堀3丁目にある伊雑太神宮(現天祖神社)、うっかりすると見過ごしそうな小さな神社だが、境内には不釣り合いなほど立派な御縁起を刻んだ石碑が建っている。(写真選択→拡大)
楓川に架かっていた三ツ橋のひとつ、弾正橋が鍛冶橋通りの一部となってその名を残している。橋の脇の公園には明治の鉄橋のモニュメントが。

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