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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

このシリーズは『江戸名所図会』の記述に従って初めから順番に、書かれた場所がいまどうなっているか歩いてみたらどうだろうという事から始まりました。
今では痕跡をたどることのむずかしいところも多いでしょうが、説明板などをみつけたりする楽しみもあります。『えど友』の記事と地図を参考にぶらり、歩いてみてはいかがでしょう。
地図上の青いマークをクリックすると、場所の名前が出てきます。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その1 [和田倉門から石町時の鐘]

挿絵:長谷川雪旦 日本橋魚市


より大きな地図で 「江戸名所図会を歩く」 1 【和田倉門から石町時の鐘】 を表示
(番外)八重洲中央通りの中央分離帯にあるヤン・ヨーステンの碑 スタート地点の和田倉門。奥に見える復元された橋を渡ると枡形の石垣が見られる。右側の堀は龍の口から道三堀へと続いていた。
ビルの間の細い道に立っている道三橋跡の説明板(写真選択→拡大) 永代通りを歩いて道三堀の跡をたどり、常盤橋公園へ行くと・・・・工事中で通行不可!
公園内のベンチから身を乗り出して橋を見る。 公園のシナマンサクがようやく開花していた。
やむなく、昭和元年(1926)架橋の常盤橋を渡り、中央区側にでる。 中央区側から見る明治10年(1877)に架け直された常磐橋。橋銘板に注目。皿ではなく、石になった。(写真選択→拡大)
この橋はいつ渡れるようになるだろうか、かなり傷みが激しいようだ。 金座と呉服町の間、日本橋川にかかる一石橋。
名所図会の頃はなかった「迷い子のしるべ」 日本橋へ到達。多くの人がカメラを向けていた。
北詰の魚市のあとを示す乙姫公園。 十軒店(じっけんだな)はこの説明板をようやくみつけただけ。(写真選択→拡大)
十思(じっし)公園に移築された石町(こくちょう)時の鐘。 度重なる火災に遭い、宝永8年(1711)に改鋳された鐘。

バナースペース

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